2025.12.23

AIに奪われたときめきを探して。元テックライターが選んだアナログという最先端な生き方

マサトさん(48歳・埼玉県在住)
Interviewee マサトさん(48歳・埼玉県在住)

兵庫県神戸市出身。米国への留学、タイでの海外勤務を経て、2012年より愛媛県松山市にてテックライターとして活動。最先端のWebサービスを紹介してきたが、AIの台頭を機に「デジタルへの熱狂」を喪失し、放浪の旅へ。現在は埼玉県秩父市在住。「コミュニケーションの最先端はアナログにある」を掲げ、ラジオパーソナリティや空き家改修など、手触りのある現場仕事に新たなときめきを見出している。

埼玉県秩父市、20時。山あいの街にある小さなコミュニティFMのスタジオで、男がマイクに向かっている。手元に台本はない。
目の前のゲストの表情、その場の空気、予期せぬハプニング。それらすべてを即興で言葉に変え、電波に乗せていく。

マサトさん、48歳。

現在、地域おこし協力隊としてこの街に移り住み、移住者支援をしながら、地元のラジオパーソナリティ、民泊の清掃、空き家の改修まで、泥臭い現場仕事を一手に引き受けている。

だが、数年前まで、彼の主戦場はここにはなかった。
彼は、愛媛県松山市の自宅から一歩も出ることなく、世界最先端のテクノロジー情報を日本へと発信する、トップクラスのテックライターだった。
Slack、Notion、Figma、Canva。今や誰もが知るツールを、日本でいち早く紹介していたのは彼だ。

デジタルを極めた男がなぜ今、最もアナログな山間の街にいるのか。
これは、AIという革命により「生き方のステージ」を見つめ直した男が、不便さの中に希望を見つけるまでの再生の記録である。

モニターの中には、無限の宇宙があった

マサトさんの半生は、「移動」と共にあった。
神戸市で生まれ、阪神淡路大震災を経て、アメリカのテネシー州へ留学。タイでの工場立ち上げも経験した。
2012年、彼がたどり着いたのは愛媛県松山市だった。

そこからの10年間、彼はモニターの中に没入した。
日進月歩で進化するWebテクノロジー。
海外の掲示板を読み漁り、砂金を探すように未発掘のWebサービスを見つけ出す。
ティザーサイトに躍るコンセプト、洗練されたUI、開発者たちの尖った思想。

「これは世界を変えるかもしれない」

その予感に全身が粟立つ。実際に触り、試し、その衝撃を記事にする。

SlackやNotionが初めて世に出た日のことは、今でも忘れない。

モニターの中には、確かに無限の可能性が広がっていた。
松山市での生活は快適で、会う人は固定化され、毎日が美しいルーティンとして過ぎていく。
それは、完成された幸福な「ぬるま湯」だった。

「ワクワク」が死んだ日

転機は、2023年頃に訪れた。
生成AIの登場だ。
最初は「対話ができるチャットボット」程度の認識だったChatGPTは、瞬く間に進化を遂げた。
それは革命だったが、彼にとっては「喪失」の始まりでもあった。

AIのAPIを活用すれば、誰もがそれなりのサービスを作れるようになった。
その結果、雨後の筍のように同じようなアプリが乱立した。
どれもが便利で、どれもが似ている。
かつて彼を熱狂させた「開発者の狂気的なこだわり」や「尖った思想」は、AIによる効率化の波に飲み込まれてしまった。「ふんふん、こういうサービスね」
ひと目で底が見えてしまう。心が動かない。

海外のサービスを見ても、あの頃のワクワク感はもう戻ってこなかった。
AIが情報を生成し、AIが答えを出す世界。

「自分が熱狂できるものは、もうモニターの中にはないかもしれない」

そう直感した日、そっとノートパソコンを閉じた。

思考を止めて、身体を運ぶ

テックへの情熱が冷めると同時に、「ぬるま湯」のような生活にも違和感が募った。
毎日同じ人と会い、同じ話をして終わる。変化がない。

マサトさんは実験を始めた。
「いろいろ深く考えずに、思いつきで出かける」
あえて思考を停止させ、心と身体の赴くままに動くことにしたのだ。

朝起きて、妻に「キャンプ行く?」と誘い、離島へ渡る。
テントだけを背負って、二つ隣の街まで歩く。
見知らぬゲストハウスに泊まり、見知らぬ人と話し、馴染み始めた頃には次の土地へ移動する。

一ヶ月、三ヶ月、定住しない暮らしを2年近く続けた。
環境を変えれば、出会う人が変わる。人が変われば、自分が変わる。
モニターの前で固まっていた細胞が、移動することで解れていく感覚。
その放浪の果てに、彼のアンテナが反応した場所。それが埼玉県秩父市だった。

コミュニケーションの最先端はアナログにある

秩父での生活は、松山でのそれとは対極にある。
人口約5万6000人。決して大都市ではない。だが、ここには強烈な「横の広がり」があった。

初めて入った古民家カフェで隣り合った老人と話し込む。
祭りに行けば知り合いに会い、その知り合いがまた新しい誰かを連れてくる。
移住相談員、民泊の清掃、そしてラジオの生放送。
かつてパソコン一台で完結していた彼の仕事は今、泥臭いまでの「対人関係」で成り立っている。

「コミュニケーションの最先端は、今やアナログにあるんじゃないか」マサトさんは確信を持ってそう語る。
動画は加工できる。文章はAIが書ける。
けれど、ラジオの生放送で起こる偶発的な会話や、祭りの雑踏で交わす挨拶だけは、人間にしか生成できない。
AIが台頭した世界で、最後に残る価値は「人間同士の予測不能な関わり合い」だと、彼は肌で理解したのだ。

意思決定の瞬間

なぜ、秩父だったのか。
ロジカルな理由は後付けにすぎない。
「ここなら、毎日誰かと関わって生きていける」
そう、身体が反応した。ただ、腑に落ちたのだ。
マサトさんは今、パソコンを開く暇もないほど忙しい。
かつては三度の飯よりWebサービスが好きだった男が、今は軍手をはめて空き家を掃除し、街角で立ち話に花を咲かせている。

けれど、今の彼の表情は、Notionのβ版を初めて触ったあの頃と同じくらい輝いている。

大人のベターな選択。
それは、時代の変化を嘆くことではなく、自分の心が震える場所へ、軽やかに居場所を移すことだ。デジタルからアナログへ。
効率から、愛すべき非効率へ。
AIに奪われた「ときめき」を取り戻すために、彼は今日も秩父の街を歩く。

SECOND編集部
Author SECOND編集部

「大人のベターな選択」を支援する、移住&キャリアマガジン編集部。場所や常識に縛られず、人生を再編集するための「戦略」としてのローカルライフを提案する。きれいごとではないリアリティのある移住者インタビュー、独自の視点で切り取った企業ドキュメンタリー、賢く生きるためのコラムを発信中。

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