2026.04.07

“ならば進もう、賽は投げられた” 西へ東へ、40代で見つけた自分の道

徳田風美さん(42歳・京都府在住)
Interviewee 徳田風美さん(42歳・京都府在住)

愛媛県生まれ。地元の大学を卒業後、上京しアパレル企業に入社。激務のなか家庭の事情が重なり、故郷・愛媛へUターン。ヘルスケア業界へ転身し、施術の魅力に目覚める。現在は大好きな京都に一軒家を購入し、1階を改装した隠れ家サロンで、オーナーセラピストとして自らの城を切り盛りしている。

京都の市街地から少し離れた、静かな住宅街。
交通の便はお世辞にも良いとは言えないその場所に、知る人ぞ知る隠れ家のようなサロンがある。

一軒家の1階を改装した清潔な施術室。ここで提供されるのは、圧倒的な技術力と深い知識に裏打ちされたオイルマッサージだ。

外出のついでに立ち寄る客はいない。すべての客が「彼女の施術を受けるためだけ」に、わざわざこの場所を目指してやって来る。

オーナーである徳田さんは、飄々とした笑顔で客を出迎える。

一国一城の主として、自らの腕一つで生き抜くその姿は、潔く、美しい。

だが、彼女は最初から「独立して自分の城を持つ」という明確な夢に向かって邁進してきたわけではない。

これは、大都会の濁流に揉まれ、何度も壁にぶつかりながらも、そのたびに「自分の人生、このままでいいのか?」と問い続け、最後に自らの居場所を掴み取った女性の記録である。

新宿の喧騒と、黒くなる洗濯物

学生時代から、自分が何者なのかよくわからないまま生きてきた。

好奇心旺盛でやる気だけはあり、好きなものが見つかると周りの目を気にせず突き進む。高校の卒業を控えて自分の人生を決める段になり、漠然とやりたい道が見えても、スムーズにいかないと簡単に諦めてしまう不器用さもあった。

地元の大学を卒業し、はじめの就職先は東京。田舎育ちだった彼女にとって、都会のキラキラした雰囲気に強い憧れがあった。「何かやってみたい」という漠然とした理由で、アパレル企業に入社した。

性格的に真面目でやる気はあったから、手抜きをせず自分なりに必死に頑張った。

だが、配属されたのは大都会のど真ん中にある激務の店舗。

接客のスピードだけが求められ、息つく暇もない。自分が何のために働いているのかを考える余裕など、一ミリもなかった。

会社が用意してくれた新宿の社宅は狭く、窓を開けてもビルしか見えなかった。

排気ガスで空気が汚れ、外に干した洗濯物が黒くなる。海も山もない無機質な景色の中で、彼女の心は急速にすり減っていった。

「都会に出れば、もっと世界が広がると思っていたのに」

思い描いていた理想と、息苦しい現実のギャップ。そこに家庭の事情も重なったことで、彼女は東京を離れ、故郷の愛媛へUターンした。

圧倒的な技術力を手に入れたい

故郷である愛媛県に戻った彼女は、知人の誘いでヘルスケアに関する商品を扱う店舗で働き始めた。

これが、彼女の人生の大きな転換点となる。

人の健康、つまり体に関わる仕事は楽しかった。しかし、徐々に「ものを売るよりも、自らの手で施術をしてみたい」と思うようになる。

自分の適性を試すために整体の店でアルバイトを始めると、直接お客さんから「ありがとう」と感謝された。これまでのお金を稼ぐだけの仕事にはなかった、血の通った喜びがそこにはあった。

その後、本格的に施術を仕事にするため、リラクゼーションエステに正社員として就職。だが、体の使い方が上手くできないまま、入社してまもなく重度の腱鞘炎になってしまう。

絶望する彼女を救ったのは、一人の凄腕のあん摩マッサージ指圧師だった。

どこかの組織に属するわけでもなく、ただ圧倒的な技術で確実に芯を捉える一匹狼の職人。

「この人みたいになりたい」

本物の技術を手に入れたい。その渇望が、彼女を動かした。

「人の身体をより良くしていくための予防医学のようなことがしたい」。その想いを胸に、国家資格を取るために京都の専門学校へ進学。猛勉強をしながら休みのたびにレンタルサロンを借り、お客さんを相手に独自のオイルマッサージの腕を磨き続けた。

鍛えられたビジネススキルと転機

専門学校を卒業後、彼女は医療業界ではなく、大阪のエステサロンに就職した。

「オールハンドで、結果さえ出せばマニュアルは自由」という社風に惹かれたからだ。

だが、ひとつだけどうしても受け入れがたい問題があった。

「私は技術者なのに、なぜこんなに物販までしなければいけないのか」

普通のエステなら「新人のくせに」と一蹴されて終わっていただろう。

だが、そこには信頼できる上司や仲間のサポートがあった。「自分の専門知識で身体の状態を分析し、その人に本当に必要だと思うものだけを勧めればいい」。そんな個人に配慮された環境のおかげで、彼女は自分らしさを失わずに仕事をすることができた。

自分の心に忠実に、お客さんに一層喜んでもらえる方向性を模索し続ける。技術だけでなく、ビジネスを回す力。彼女は過酷で忙しい環境の中で、確実にプロフェッショナルとしての牙を研いでいた。

平日は毎日遊びに行く余裕もないぐらい忙しかったが、信頼できる人たちとやりたいことができる、とても充実した日々だった。

ただ、心のどこかで「自分の店を持ちたい」という夢は、ずっと消えずにくすぶっていた。

仲良くなった同僚やお客様の手前、なかなか辞めるとは言い出しづらかったが、自分の中に確かな技術と自信が備わっていくにつれ、「いつか」という思いは「今だ」という確信に変わっていった。

「自分の城を持つなら、もうこのタイミングしかない」

機は熟した。長年お世話になった環境に感謝しつつ、彼女は迷うことなく独立への一歩を踏み出した。

自分の城をもつということ

独立を決意した彼女が選んだ場所は、大阪でも地元の愛媛でもなく、専門学校時代を過ごした京都だった。
専門学生時代はお金もなく知り合いもいなかったが、四季折々の美しい風景、自然と古い町並みが調和したゆっくりと流れる時間が、いつも心と身体を癒してくれた大好きな場所だった。
仕事の休みを利用して物件の内見に行ったその日、現在の一軒家に出会い、即決で引っ越しを決めた。

「10代、20代の頃、私は自分のことがよくわかっていませんでした」

徳田さんは、当時を振り返る。
今でこそ「芯が通っている」「まっすぐな性格」と言われるが、当時はノリだけでどうにかなると思って生きていた。大した学歴もなく、若さだけで、自分をアピールできる経歴も話術もなかった。
けれど、「自分が夢中になれること」「誰にも負けないぐらい得意なこと」がどうしても欲しかった。自立した女性になりたい、自分に自信を持ちたいと、ずっともがいていた。

仕事が違うと感じたら、次のステップを見出してすぐに辞めた。
仕事が続かない自分に「なんて根気がないんだ」と落ち込む時もたくさんあった。「好きな事を仕事にしないほうが良いのではないか」と迷走したこともある。

「でも結果的に、それがよかったと思うんです」

自分の好きな場所、やりたいこと、やりたくないこと。
人生の中でひとつひとつ整理しながら進んでこられたおかげで、今がある。

転職、住んだことのない場所への引っ越し、未経験の連続。失敗もたくさんしたけれど、経験したからこそ自分の価値観が明確になり、次に進めた。
合わなければ、また変えてみたらいい。今は合っていても、そのうち合わなくなることだってあるのだから。

「自分という人間がだいぶクリアになり、40代でやっと、思い切り呼吸ができる感覚になれました」

彼女は、そのすべてを糧にし、自らの城を築き上げた。

「1回しかない人生で、このままで本当にいいのか?」

事あるごとに、そう自分に問い続けてきた。一見すると外部の環境に振り回されてきたように見えるかもしれないが、彼女はその都度「どう生きるか」を自分で決断してきたのだ。

好きな言葉は、古代ローマの英雄・カエサルの言葉だという。

「進めばこの世の地獄、進まざれば我が身の破滅。ならば進もう、賽(さい)は投げられた」

笑いながら語るその言葉には、自分のケツは自分で拭くという、大人としての圧倒的な覚悟がにじんでいる。

誰かに用意された綺麗なレールなどない。
自分の技術と直感だけを信じて、不格好でも前に進む。
京都の隠れ家サロンで、今日も彼女は、自らの人生のハンドルを力強く握りしめている。

徳田さんのInstagramはこちらから

SECOND編集部
Author SECOND編集部

「大人のベターな選択」を支援する、移住&キャリアマガジン編集部。場所や常識に縛られず、人生を再編集するための「戦略」としてのローカルライフを提案する。きれいごとではないリアリティのある移住者インタビュー、独自の視点で切り取った企業ドキュメンタリー、賢く生きるためのコラムを発信中。

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